「シャリル・エブド誌襲撃事件」と「あいちトリエンナーレ表現の不自由展」
「シャリル・エブド誌襲撃事件」
みなさんは「私はシャリル」という言葉を記憶にあるだろうか?
そう、フランスのシャリル・エブド誌に掲載されたムハンマドの風刺画が引き金となった襲撃事件後、デモ行進するフランス市民達の叫び声でもあります。
このとき「表現の自由」という言葉もチラホラと聴いた人もいるのではないか思います。つまりムハンマドの風刺画は「表現の自由」だと言うのです。
これに日本の報道番組の評論家などが「それは違うのではないか?」「人の心を傷つけて良い表現に自由があるのか?」「イスラム教の中にはテロリストとは無関係な人達もいて、そのような人達の心も傷つけているのではないか?」と言ったコメントがありました。
この時に出てきた言葉が「表現の自由の責任」なのです。
つまり「テロリストとは無関係のイスラム教信者に対してのなんらかの責任はないのか?」ということです。
「あいちトリエンナーレ」
「あいちトリエンナーレ」では従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」、昭和天皇の肖像をバーナーで焼く映像などもあったらしく多くの人々からの批判が出ております。(Youtubeに動画ありますがココでは動画は控えます。)
これらは何かといえば「人の心を傷つける展示会」としか言えずそこに責任が生じるからこそ多くの日本人からの批判もあれば文化庁も補助金7800万円の全額不交付になるのは当然なのです。
そして彼らの反論としては「憲法には表現の自由が認められている」とのこと。
憲法に書かれた国民の象徴を踏みにじる表現はどうなのかなぁー。
それは憲法を良しとしない考えだし既に積んでますよね。
裏ではドス黒いモヤモヤした連中がいるようなのでここまでにしておきましょう。w
さてどうでしょうか?
「シャリル・エブド誌襲撃事件」と「あいちトリエンナーレ表現の不自由展」
これらの作品は戦争を反対する作品ではなく戦争に囚われた作品です。
ムハンマドの風刺画についてはテロ戦争という背景もあるでしょう。
そのような作品は人の心を傷つけます。
戦争や紛争を題材とした作品には国際社会の中で認められた作品もありますが
これらの作品とは違うものではないかと一線は引く必要はありますね。
さて皆さんはどう思われたでしょうか?